会の歩み


浦和の歴史

1973/4/8 第1回演武会開催
1974/8/11 第1回合宿
1975/4/13

第1回本部師範の演武会

(渡辺信之師範)

1975/5/24

全日本合気道演武

大会参加(以降毎年参加)

1981/3/29

10周年演武大会

1986/ 15周年演武大会
1991/ 20周年演武大会
1996/ 25周年演武大会
1999/10/24

28周年演武大会

(旧埼玉県立武道館)

2000/9/23 29周年演武大会(同上)
2002/9/8 31周年演武大会(同上)
2003/9/14

32周年演武大会

(浦和駒場体育館)

2004/9/19

33周年演武大会

2005/9/11

34周年演武大会

(選挙の為中止)

2006/9/18

35周年演武大会

(サイデン化学アリーナ)

2007/9/9 36周年演武大会(同上)
2008/9/7 37周年演武会(同上) 
2009/9/6 38周年演武大会(同上)
2010/9/5 39周年演武大会(同上)
2011/9/4 40周年演武大会(同上)
2012/9/2 41周年演武大会(同上)
2013/9/1 42周年演武大会(同上)
2014/9/31

43周年演武大会(同上)

2015/8/30

44周年演武大会(同上)

2016/8/28

45周年演武大会(同上)

2017/8/27

46周年演武大会(同上)

2018/8/6 

47周年演武大会(同上)

2019/  
   


あゆみ

和46年(1971年)4月さいたま市(旧浦和市)高砂町にあったキリスト教教会の青年部活動の一貫として、桜の咲いている教会の庭に畳30枚程を敷いて教会の会員である故藤田喜敬氏の指導のもとに子供も含めて約20名の人数で合気道浦和道場が始まりました。初の教会の青年部だけではメンバーが少ないのでさいたま市内に立て看板を立てて一般からの参加者を募集し、1か月程度の内に約30名になりました。かし、仕事の都合もあり常時稽古に参加していたのは15名位でした。古日は、日曜日の午後1時~3時の週一程度。暑い夏の日も、寒い冬の日も、教会の庭での稽古です。た、雨の日は、教会の講堂の20畳程の場所で稽古をしていました。1年間そんな稽古が続きましたが、稽古日を増やそうという要望が強くなり、現在の稽古場所である県立武道館に日参してやっと火、木、土の夜7時~8時30分までの専用使用もできるようになりました。年目にしてやっと週4回の稽古日が確保でき浦和合気会としての本当の第一歩です。

かし、最初の指導者である故藤田師範以外は全員白帯、その藤田師範もお仕事の関係から土曜日、日曜日の週2回の指導でしたので白帯の中で順番にリーダーを決め主として基本基本技のみの稽古です。り技、半身半立技、固め技等、皆同じレベルなので力まかせにやられたりやりかえす式の稽古で、身体中痣だらけ、その痣がまた自慢のタネとなるような稽古風景でした。

んな稽古をする中、2年を過ぎた頃には初めての黒帯が4名でき、以後はその4名が藤田師範のこられない日のリーダーとして各自が独自性を出しつつ会の中心となり稽古ををしていました。

中教会の移転があり、藤田師範が亡くなられ(1979年:昭和54年)、また、各々の事情もあり4名の有段者も10年目には2名、最終的には1名のみになりましたが、後から入会した会員の中にも他の道場で稽古をしていた有段者の方もおり、途中指導体勢も変わりながら現在約40名で運営しています。導者には、本部道場より早乙女師範、渡辺師範、1982年(昭和57年)秋頃より遠藤師範においで頂いております。道場が発足して30年を過ぎました。足当時は埼玉県内でも合気道の道場は5カ所程度しかなくて合気道の知名度もまだまだ低く、「気合で相手を倒すのか?」、などとからかわれたこともありました。和合気会の最初の10年は創設期、次の10年は安定期、そして現在は県下でも多い方だと思われる有段者による指導体制も整った円熟期に入ったと思います。間行事としては、5月下旬:全日本合気道演武大会(於日本武道館)、春合宿、9月:浦和合気会の演武会、12月:納会、など年少者より80歳代の会員によって和気あいあいと楽しく明るくをモットーに稽古をしています。



少年部
 昭和60年(1985年)設立